
空母キティーホーク USS Kitty Hawk (CV-63)
排水量 61,351 トン
満載排水量 83,301 トン
全長 325 m
全幅 86 m
就役 1961年4月21日
退役 2009年1月31日
クルセイダーとファントムを一緒に搭載してた時期
1960年頃の艦載機の搭載状況は、艦載機の変遷が激しい時代が特徴でした。この時期、クルセイダーとファントムが入れ替わる過渡期には、両方が同時に搭載されることもありました。
F-8クルセイダーは1957年に、F-4ファントムIIは1960年にアメリカ海軍で運用が開始されました。クルセイダーは当初、空母艦隊の主力戦闘機として活躍しましたが、より高性能なファントムが登場すると、徐々にその役割をファントムに譲っていきました。
しかし、F-8が完全に引退するまでには時間がかかり、特に写真偵察型(RF-8)は空母では1970年代まで運用されていました。F-4もまた、派生型が多く長期間運用されました。
そのため、両機が同時に空母に搭載され、運用されていた時期は1960年代から1970年代前半にかけてが特に顕著です。ベトナム戦争中には、F-8が空対空戦闘や低空攻撃、F-4が制空戦闘や爆撃任務など、それぞれの強みを生かして運用されていました。
厳密に「何年から何年まで」と断定するのは難しいですが、1960年代中盤から1970年代初頭が、多くの空母で両機が混載されていた時期として考えられます。


キティーホーク級とニミッツ級のカタパルトの長さの違い
ニミッツ級の空母のカタパルトは、キティーホーク級に比べて長いです。具体的には、ニミッツ級のカタパルトは約90~100メートル程度の長さがあり、キティーホーク級の(約80~85メートル)よりも若干長めに設計されています。
なぜニミッツ級のカタパルトが長いのか?
●航空機の重量と性能の進化
ニミッツ級はキティーホーク級の後継として1970年代から就役を開始し、より重く高性能な航空機(例:F-14トムキャットや後のF/A-18ホーネット)を運用する必要がありました。
これらの航空機は離陸に必要な推力や速度が大きく、カタパルトの長さを延ばすことで、より強力な加速力を提供し、離陸性能を向上させました。
●設計の改良と余裕の確保
ニミッツ級はキティーホーク級よりも若干船体が大きく(全長約333m対325m)、飛行甲板の面積も広いです。このため、カタパルトの配置や長さに余裕を持たせることが可能でした。
長いカタパルトは、より多様な航空機や将来の大型機に対応するための柔軟性を確保する目的もあります。
●技術的進歩
ニミッツ級では、蒸気カタパルトの改良型(C-13-1型)が採用され、効率的で強力な発射システムが導入されました。
カタパルトの長さを延ばすことで、蒸気圧の最適化や発射時の安定性が向上し、信頼性の高い運用が可能になりました。
●補足
運用上の影響: 長いカタパルトは、より重い航空機や高い離陸速度を必要とする機体(例:偵察機や大型戦闘機)を効率的に発艦させるのに有利です。
キティーホーク級でもF-14などの運用は可能でしたが、ニミッツ級ではより余裕を持った運用が実現しました。
●結論
ニミッツ級のカタパルトがキティーホーク級より長いのは、より重く高性能な航空機の運用に対応し、飛行甲板の設計余裕や核動力によるエネルギー供給の安定性を活かした結果です。
これにより、ニミッツ級はより柔軟で効率的な航空機運用が可能となりました。



1960年頃はどのような艦載機を搭載していたのか?
●戦闘機
F-8 クルセイダー
役割: 艦隊防空および制空戦闘。
搭載時期: 1960年代初頭の主力戦闘機。
特徴: 超音速ジェット戦闘機で、優れた空対空戦闘能力を持つ。ミサイル(サイドワインダー)や20mm機関砲を装備。
F-4 ファントムII(1960年代初頭に導入開始)
役割: 多用途戦闘機(対空・対地)。
特徴: 高速かつ汎用性が高く、空対空ミサイル(スパロー、サイドワインダー)や爆弾を搭載可能。
●攻撃機
A-4 スカイホーク
役割: 軽攻撃機、対地・対艦攻撃。
特徴: 小型で機動性が高く、爆弾やロケット弾を搭載。
A-1 スカイレイダー
役割: 対地攻撃、近接航空支援。
特徴: プロペラ駆動の攻撃機で、大量の爆装が可能。
A-3 スカイウォリアー
役割: 重攻撃機、戦略爆撃、空中給油。
特徴: 大型のジェット攻撃機で、核爆弾の搭載能力もあった。偵察や給油機としても使用。
●対潜哨戒機
S-2 トラッカー
役割: 対潜水艦戦(ASW)。
特徴: 双発プロペラ機で、ソナーや磁気探知機、対潜魚雷を装備。
●早期警戒機
E-1 トレーサー
役割: 空中早期警戒・管制。
特徴: S-2トラッカーを基にした機体で、レーダー装備により艦隊の索敵・指揮統制を支援。
●偵察機
RF-8 クルセイダー
役割: 写真偵察。
特徴: F-8戦闘機の偵察型で、高速での低空偵察任務に使用。
●ヘリコプター
HSS-1 シーベット または UH-34 シーホース
役割: 対潜戦、捜索救難、輸送。
特徴: 対潜任務や乗組員救助、艦内輸送に使用。
1960年代初頭、キティーホークはプロペラ機からジェット機への移行期にあり、A-1スカイレイダーのような旧式機とF-4ファントムのような新型機が混在していました。
冷戦下ではソ連の潜水艦や爆撃機に対抗するため、S-2トラッカーによる対潜哨戒やE-1トレーサーによる早期警戒が重視され、艦隊の防衛力を強化。
1960年代中盤以降、ベトナム戦争の激化に伴い、キティーホークはA-4スカイホークやF-4ファントムを多用し、対地攻撃任務が大幅に増加しました。

冷戦の日本海で起きた衝突:空母キティホークとソ連潜水艦の事故
1984年3月21日、日本海でアメリカ海軍の空母「キティホーク(USS Kitty Hawk, CV-63)」とソ連海軍のヴィクターI級原子力潜水艦「K-314」が衝突する事故が発生しました。
冷戦時代における米ソの緊迫した監視活動のなかで起きたこの事件は、軍事史に残る興味深いエピソードです。
冷戦下の監視ゲーム
1980年代、米ソ間の冷戦は軍事的な緊張のピークにありました。
アメリカの空母打撃群はソ連にとって重要な監視対象であり、ソ連の潜水艦は空母の動向を探るため頻繁に接近していました。
この事件の舞台となった日本海では、米韓合同軍事演習「チーム・スピリット84」が実施中。キティホークは、韓国のプサン沖約150マイルの海域を航行し、演習の中心を担っていました。
一方、ソ連のK-314は、キティホークの音響データや戦術情報を収集するため、密かに追跡任務に従事。
潜水艦は「超静粛航行」モードでソナー探知を回避し、空母の直下に潜航していたとみられます。
しかし、この接近戦術は衝突のリスクを高めるものでした。
衝突の瞬間
1984年3月21日午後10時55分、キティホークは時速約20ノットで航行中、突然の衝撃に襲われました。
K-314が空母の艦底に接触し、潜水艦のスクリューが船体に引っかかったのです。事故の原因は、K-314がキティホークの真下に潜りすぎ、浮上制御や位置確認を誤った可能性が高いと考えられています。
一方、キティホーク側も、ソ連潜水艦の接近を完全には探知できていませんでした。
●損傷の状況
キティホーク : 艦底に擦過傷と軽度のへこみが生じ、燃料タンクの一部に小さな損傷が発生。しかし、航行や作戦行動に支障はなく、修理は後日行われました。
K-314 : スクリューが大きく損傷し、推進力を喪失。浮上を余儀なくされ、ソ連海軍にとって不利な状況に陥りました。
事故後の対応
衝突後、K-314は自力航行が困難になり、海面に浮上。キティホークの乗組員は、夜間に現れたソ連潜水艦を監視し、写真撮影や状況報告を行いました。
ソ連側は近くの駆逐艦や支援艦を派遣し、K-314を曳航してウラジオストクへ帰還させました。
両国はこの事件を公に大きく取り上げず、外交的な摩擦を回避。
キティホークは演習を続行し、事故による作戦への影響は最小限に抑えられました。
乗組員の間では、船体に残ったスクリューの破片が「冷戦の記念品」として話題になったと記録されていますが、これらは後に海軍当局に分析のため提出されました。
歴史的意義と教訓
この事故は、冷戦中の米ソが互いに危険なまでに接近して監視し合っていた現実を象徴しています。
意図的な衝突ではなかったものの、両国の軍事的な緊張感がどれほど高かったかを示す一例です。
米海軍の教訓: 潜水艦探知技術の向上や、演習中の警戒体制強化の必要性が浮き彫りに。ソナーや対潜水艦戦(ASW)能力の改善が求められました。
ソ連海軍の課題 : 潜水艦の接近戦術のリスクが露呈し、航行管理や通信の改善が議論されたと推測されます。
冷戦の縮図 : 両国が「力の誇示」と「情報収集」の間で綱渡りをしていた時代背景が、この事故を通じて明確に映し出されます。
乗組員の視点
キティホークの乗組員にとって、この事故は緊迫した任務のなかでの異例な出来事でした。浮上したK-314を観察する際、艦橋では双眼鏡が飛び交い、記録用の写真が撮影されたといいます。
深刻な被害がなかったため、乗組員の間では「ソ連潜水艦を引っかけた」と冗談めかす声もあったとされていますが、これは厳しい任務環境での気晴らしだったのかもしれません。
まとめ
空母キティホークとソ連潜水艦K-314の衝突事故は、冷戦の軍事史において、緊張と偶然が交錯した一幕です。大きな被害や国際問題には至らなかったものの、米ソの監視ゲームの危険性を浮き彫りにしました。
この事件は、軍事技術の限界と人間の判断が交差する瞬間を捉えた、貴重な歴史的記録といえるでしょう。
