1/800 空母ミッドウェイのプラモデルに1990年頃の艦載機43機を搭載してみました!

空母ミッドウェイ  USS Midway (CV-41)
排水量 建造時 45,000 t
満載排水量 建造時 60,100 t
改装後 70,000 t
全長 296 m
全幅 78 m
就役 1945年9月10日
退役 1992年4月11日

空母ミッドウェイ  USS Midway (CV-41)

今回は空母ミッドウェイに1990年頃の艦載機を搭載しました。この時期は退役直前で、主力の戦闘・攻撃機はF/A-18ホーネット、攻撃機はA-6Eイントルーダーを中心としていました。

F/A-18 ホーネット
役割:多用途戦闘攻撃機(対空・対地攻撃)
特徴:F/A-18A/Cがこの時期の主力戦闘機で、ミッドウェイの甲板サイズに適合し、対空戦闘と精密攻撃の両方に対応。湾岸戦争では空爆任務で活躍しました。
配備:2~3個飛行隊(約24~36機)。

A-6E イントルーダー
役割:全天候型攻撃機
特徴:夜間や悪天候下での対地・対艦攻撃に特化。湾岸戦争で精密爆撃を実施。
配備:1個飛行隊(約10~12機)。

EA-6B プラウラー
役割:電子戦機
特徴:敵のレーダーや通信を妨害。A-6を基にした機体で、ミッドウェイの運用に適合。
配備:4~6機。

E-2C ホークアイ
役割:早期警戒機
特徴:空中指揮統制と早期警戒を担当。艦隊の索敵と指揮を支援。
配備:4~5機。

S-3 バイキング
役割:対潜哨戒機
特徴:対潜水艦戦(ASW)および海上哨戒。ソ連潜水艦への対抗が主任務。
配備:1個飛行隊(約6~8機)。

SH-60 シーホーク
役割:ヘリコプター(対潜戦、捜索救難)
特徴:対潜戦や捜索救難任務を担当。
配備:4~6機。

空母ミッドウェイの名前の由来とその歴史的背景

名前の由来
空母ミッドウェイは、1945年に就役したアメリカ海軍の航空母艦で、その名前は1942年のミッドウェイ海戦に由来しています。
ミッドウェイ海戦は、第二次世界大戦中の太平洋戦域におけるターニングポイントとなった戦いで、アメリカ海軍が日本海軍に対して決定的な勝利を収めた戦闘です。
この戦いは、ミッドウェイ環礁を舞台に行われたため、戦いの名前がそのまま空母の名前に採用されました。

歴史的背景ミッドウェイ海戦(1942年)の意義
ミッドウェイ海戦は、日本海軍がハワイのミッドウェイ環礁を占領し、アメリカの太平洋支配を脅かそうとした作戦に対する反撃でした。
アメリカ海軍は暗号解読により日本軍の計画を事前に察知し、空母エンタープライズ、ホーネット、ヨークタウンを中心に迎撃。
日本軍の空母4隻(加賀、蒼龍、飛龍、赤城)を沈める大勝利を収め、太平洋戦争の主導権を握りました。

この戦いの成功は、アメリカ海軍の士気を高め、後の勝利への道を開いたため、ミッドウェイという名前は特別な意味を持つようになりました。

ミッドウェイ級航空母艦の登場
空母ミッドウェイは、ミッドウェイ級航空母艦の1番艦として設計・建造されました。
このクラスは、第二次世界大戦中の戦訓を反映し、当時としては革新的な設計を誇りました。
排水量約45,000トン(後に改装で増加)、装甲甲板の採用、ジェット機運用への適応など、従来の空母を大きく超える性能を持っていました。
ミッドウェイの就役は、戦争終結直後の1945年9月でしたが、その後、冷戦時代を通じてアメリカ海軍の主力艦として活躍しました。

冷戦時代とミッドウェイの役割
ミッドウェイは、朝鮮戦争(1950-1953年)、ベトナム戦争(1960年代-1970年代)、さらには1991年の湾岸戦争まで、約47年間にわたり現役で活躍しました。

特に冷戦期には、核兵器搭載可能な戦略的プラットフォームとして、ソ連に対する抑止力の一翼を担いました。
また、日本との関係では、横須賀を母港とする時期(1973-1991年)があり、日米同盟の象徴としても機能しました。

この時期、ミッドウェイは日本でも身近な存在となり、横須賀での公開イベントなども行われました。

日本とのつながり
日本人にとって「ミッドウェイ」という名前は、ミッドウェイ海戦での敗北を連想させるため、複雑な感情を呼び起こす場合があります。
しかし、空母ミッドウェイ自体は戦後の日米関係の強化に貢献し、特に横須賀を拠点とした時期には、日本の安全保障にも関与しました。
現在、サンディエゴのミッドウェイ博物館を訪れる日本人観光客も多く、歴史を振り返りつつ、日米の友好関係を再認識する場となっています。

ミッドウェイ(CV-41)近代化改装後の船体動揺の影響と課題

ミッドウェイの近代化改装後の船体の動揺(揺れ方)については、特に1966年から1970年にかけて実施された大規模な近代化改装後の影響が顕著です。
以下に、その改装が船の揺れ方に与えた影響を詳しく説明します。

近代化改装の概要

1966年から1970年にかけて、ミッドウェイはサンフランシスコ湾海軍造船所で大規模な近代化改装を受けました。
この改装では以下の変更が加えられました。

飛行甲板の拡張
飛行甲板の面積が11,412m²から16,268m²に拡大され、着艦エリアの角度が13.5度に増加。

エレベーターの改良
エレベーターの重量容量が約34トンから約59トンに増強され、配置も変更。

カタパルトと着艦制動装置の更新
新型のカタパルト(ただしアングルドデッキのカタパルトは撤去され2基に削減)および着艦制動装置が導入。

船体重量の増加
これらの改装により、船の排水量が就役時の45,000トンから退役時の64,000トンに増加。

これらの変更は、より重い新型航空機(例:F-4ファントムやA-7コルセアII)の運用を可能にするためのものでしたが、船体の安定性や耐航性に悪影響を及ぼしました。

船の揺れ方への影響

近代化改装後のミッドウェイの船体動揺に関する主な影響は以下の通りです。

耐航性の低下
飛行甲板の拡張や重量増加により、船の重心が上方に移動。
これにより、荒れた海(高波や強風)でのピッチング(前後方向の揺れ)やローリング(左右方向の揺れ)が顕著に増加しました。
特に、飛行甲板の大型化は船の上部構造の重量を増やし、横揺れに対する安定性が低下しました。

運用上の問題
改装後の耐航性の悪化は、荒天時の航空作戦に影響を与えました。
飛行甲板が大きく揺れることで、航空機の発着艦が困難になり、作戦効率が低下する場面が報告されています。
このため、さらなる修正改装が必要となりました。

追加改装の試み
1970年の再就役後、耐航性の問題を軽減するために追加の改装が行われましたが、完全な解決には至らず、特に高波の中での安定性は課題として残りました。

1986年の改装とバルジの追加

1986年には、横須賀を母港とするミッドウェイに対してさらなる近代化改装が行われました。
この改装では、F/A-18ホーネットのような新型航空機の運用に備えて以下の変更が施されました。

バルジ(ブリスター)の追加
船体側面に浮力を増すためのバルジが追加され、船体の浮力と安定性を向上させる試みが行われました。

カタパルトの強化
新型航空機の重量に対応するため、カタパルトが強化。

軽量化の努力
老朽化と重量増加による問題を軽減するため、一部の構造物の軽量化が図られました。

しかし、バルジの設計が不適切だったため、航行時に不自然な白波が発生し、動揺が増加する問題が観察されました。
この結果、船体の揺れが特に高波時に顕著となり、乗組員や航空機の運用に影響を与えました。

実際の運用における影響ベトナム戦争期(1970年代)

改装後のミッドウェイはベトナム戦争で積極的に運用されましたが、荒天時の飛行甲板の揺れが航空作戦の制限要因となることがありました。
特に、ヤンキー・ステーションでの作戦中、悪天候下での安定性の問題が報告されています。

横須賀母港時代(1973年以降)
日本を拠点とする期間中、ミッドウェイは台風や季節的な荒天に頻繁に遭遇しましたが、船体の動揺が運用上の課題として浮上。
1986年の改装後も、バルジによる不自然な挙動が乗組員によって報告されています。

湾岸戦争(1990-1991年)
湾岸戦争ではペルシャ湾での作戦に従事しましたが、比較的穏やかな海域での運用が多かったため、揺れによる大きな問題は記録されていません。
ただし、艦齢の進行による全体的な老朽化が運用に影響を与えていました。

乗組員の証言

乗組員の証言と評価改装後のミッドウェイの揺れ方については、乗組員の間でも話題に上ることがありました。
特に、1970年代の改装後には「船が以前より不安定に感じる」という声が上がり、横揺れが強まると飛行甲板での作業が危険になるケースも報告されています。
また、1986年のバルジ追加後は、航行時の異常な波の発生が乗組員にとって視覚的にも明らかな問題でした。

まとめ

USSミッドウェイ(CV-41)の近代化改装(特に1966-1970年および1986年)は、航空機運用の能力向上を目的としたものでしたが、船体の重量増加や構造変更により耐航性が低下し、船の揺れ(特にピッチングとローリング)が顕著に増加しました。
これにより、荒天時の航空作戦に制約が生じ、追加の改修が必要となる場面もありました。

1986年のバルジ追加は浮力向上を意図したものの、設計の不備から動揺を悪化させる結果となり、ミッドウェイの後期運用において課題として残りました。