1/800 空母キティーホークと横須賀に配備した引退まじかの空母

空母キティーホークのプラモ甲板全体画像

1/800「空母キティーホーク」をベースに、艦載機を2021年頃の運用状況に合わせて搭載しました。
特に最新鋭のステルス機F-35Cを搭載したのがこだわりですが、キティーホークはF-35Cの運用開始を待たず2009年に退役しているため、この組み合わせは現実には存在しません。
もしキティーホークが現代まで現役で、改修を受け続けていたら……というリアリティを楽しんでいただければ幸いです。

空母キティーホークのプラモ左側斜め上画像

横須賀に配備された通常動力型空母は引退まじかの空母が多かった理由

横須賀を母港とした歴代空母を見ると、確かに初期は就役からかなりの年月が経った艦が選ばれていました。

艦名横須賀配備期間就役年配備時の艦齢備考
ミッドウェイ1973年〜1991年1945年約28年第二次世界大戦直後に完成した超ベテラン艦
インディペンデンス1991年〜1998年1959年約32年フォレスタル級。ミッドウェイよりは新しいが設計は古い
キティ・ホーク1998年〜2008年1961年約37年米海軍最後の通常動力(非原子力)空母
ジョージ・ワシントン2008年〜2015年1992年約16年初の原子力空母。 ここから一気に若返る
ロナルド・レーガン2015年〜2024年2003年約12年当時の最新鋭に近い状態での配備
ジョージ・ワシントン2024年〜(1992年)大規模改修(RCOH)を経て再配備

「核アレルギー」という巨大な壁

横須賀に古い空母、正確には「通常動力型(ボイラー船)」の空母が配備され続けた最大の理由は、日本の**「核」に対する国民感情と政治的配慮**にあります。

アメリカ海軍は1960年代から、空母の主力を原子力(CVN)へとシフトさせ始めました。
1961年には世界初の原子力空母「エンタープライズ」が就役し、その後、巨大なニミッツ級が次々と建造されます。
しかし、当時の日本にとって「原子力」という言葉は、極めてデリケートな政治問題でした。

1968年に原子力潜水艦「ソードフィッシュ」が佐世保に寄港した際、周辺海域で基準値を超える放射能が検出された(とされた)騒動もあり、日本国内では原子力艦船の寄港に対して激しい反対運動が起こりました。
もし、アメリカが最新鋭の原子力空母を横須賀に常駐させようものなら、日米安保体制を揺るがすほどの事態になりかねない――。
そう判断したアメリカ政府は、あえて旧式の通常動力空母を、日本専用に維持し続けるという選択をしたのです。

空母キティーホークのプラモ正面画像

歴戦の老兵たち

ここで、横須賀を支えた「古い空母」たちの顔ぶれを振り返ってみましょう。

浮く鉄の城:ミッドウェイ(CV-41)

空母ミッドウェイ甲板に飛行機たくさん載せてる

1973年、横須賀を母港とした最初の空母です。
就役は1945年9月。つまり、第二次世界大戦が終結した直後に誕生した、まさに「生きた化石」のような艦でした。
当初は小型の艦載機しか想定していませんでしたが、時代に合わせて甲板を継ぎ足し、カタパルトを強化し、無理やりジェット機を運用できるよう大改造を繰り返しました。
その結果、艦体のバランスが悪くなり、波の中で激しく揺れる「ロックンロール・キャリア」という不名誉な(しかし愛着のある)あだ名までつきました。

最後のフォレスタル級:インディペンデンス(CV-62)

空母インディペンデンスのプラモ甲板全体画像

1991年、ミッドウェイに代わってやってきたのが「インディ」です。1959年就役のこの艦も、配備当時はすでにベテランの域に達していました。
湾岸戦争直後の緊張感の中、横須賀の顔として君臨しましたが、やはり中身は蒸気タービンの旧式艦。エンジンの不調や老朽化との戦いでもありました。

伝説の終わり:キティホーク(CV-63)

空母キティーホークのプラモ右斜め上画像

1998年に配備されたキティホークは、アメリカ海軍が最後に建造した通常動力空母の1番艦です。2008年に退役するまで、米海軍で最も古い現役艦」として、横須賀の象徴であり続けました。
キティホークが引退するということは、すなわち「横須賀に配備できる通常動力空母が、世界中のどこにも存在しなくなる」ことを意味していました。

空母キティーホークのプラモ右側全体画像

横須賀における艦船修理施設(SRF)の役割

米海軍の本国で退役が検討されるような旧式艦が、横須賀を母港として長期運用できた背景には、**「米海軍艦船修理施設(SRF-JRMC)」**の存在があります。
ここでの高いメンテナンス能力が、老朽艦の維持を可能にしていました。

  • 部品の自社製造(内製化)
    ミッドウェイ級やキティホーク級のような旧式艦は、すでにメーカーの部品製造が終了(製造中止)しているケースが多々ありました。
    SRFの日本人技術者たちは、現存する図面から部品を設計し、施設内の工作ショップで直接製造することで、サプライチェーンの途絶に対応していました。
  • 蒸気タービン・ボイラーの維持管理
    原子力空母が主流となる中、旧来の蒸気ボイラー機のメンテナンス技術を維持し続けることは困難になりつつありました。
    しかし、横須賀の技術者はこれらの複雑な動力系統の保守点検に精通しており、旧式艦の稼働率を高く保つことに貢献しました。
  • 米海軍からの信頼
    横須賀での整備は精確かつ迅速であると評価されており、米海軍にとって「旧型艦であっても横須賀に配備すれば、第一線での運用に耐えうるコンディションを維持できる」という計算が成り立っていました。

このように、横須賀の整備拠点が持つ高度な技術力が、米海軍の「非原子力空母を日本に配備し続ける」という運用方針を支えていたと言えます。


参照:アメリカ第七艦隊のサイト 米第7艦隊司令官

空母キティーホークのプラモ右斜め後ろ画像

時代の転換点:2008年の衝撃

2008年、ついにその時が訪れます。キティホークの退役に伴い、アメリカ海軍はついに横須賀へ原子力空母「ジョージ・ワシントン(GW)」の配備を決定しました。

当時の日本国内では、かつてのような大規模な反対運動を危惧する声もありました。
しかし、冷戦後の不安定な東アジア情勢、特に急速に海軍力を増強する中国の存在を前に、「最新鋭の抑止力」を求める声が上回りました。

原子力空母は、燃料補給のために港に戻る必要がほとんどなく、圧倒的なスピードと持続力を誇ります。
この配備によって、横須賀は「古い空母の避難所」から、「世界最強の打撃群の拠点」へと、その性格を完全に変えたのです。

空母キティーホークのプラモ後方画像

横須賀という街と空母の絆

古い空母が多かった時代、横須賀の街には今よりもずっと「油の匂い」と「昭和の活気」が混じり合っていました。
ミッドウェイやキティホークの乗組員たちは、寄港するたびに「ドブ板通り」に繰り出し、米ドルを落とし、地元の文化と混ざり合いました。
古い船はメンテナンス期間が長く、結果として乗組員たちが日本に滞在する時間も長くなりました。
それが、横須賀独特の濃厚なアメリカン・カルチャーを育んだ側面もあります。

原子力空母になった現在、艦の自動化が進み、乗組員の質や生活スタイルも変わりました。
しかし、かつての「お下がり」の空母たちが、故障と戦いながらもこの東アジアの海を必死に守っていた時代、私たちは確かに「鉄の塊」に宿る魂のようなものを感じていた気がします。

空母キティーホークのプラモ左斜め後ろ画像

まとめ:老兵が去り、新時代へ

横須賀に配備された古い空母たちは、単なる「予算不足」や「軽視」の結果ではありませんでした。
それは、日本の政治的複雑さを飲み込み、日本の職人技術を信頼し、過酷な極東の海を維持するための、日米間の絶妙な妥協点だったのです。

現在、横須賀には再び「ジョージ・ワシントン」が戻ってきています。
今度のGWは、以前とは比較にならないほど近代化され、ステルス戦闘機F-35Cを運用する「最新鋭」の姿です。
もはや「古い空母」と言われることはありません。

しかし、あのミッドウェイやキティホークが夕暮れの横須賀港に停泊していた頃の、重厚でどこか寂しげなシルエットを懐かしむファンが多いのも事実です。

空母キティーホークのプラモ中央付近画像