
今回は1/800空母キティーホークのプラモデルに1990年代頃の艦載機68機を搭載しました。
構成は、主力のF-14や導入が進むF/A-18に加え、湾岸戦争で活躍したA-6Eなど、新旧の機体が混在する過渡期の魅力が詰まっています。
この時代の艦載機はこのような構成です
F-14 トムキャット
艦隊防空戦闘機。2個中隊(VF)で、各10-12機。TARPS(偵察ポッド)搭載型も使用。
F/A-18 ホーネット
多用途攻撃戦闘機。2個中隊(VFA)で、各12機。1980年代後半から導入が進み、A-7の代替として使用
A-6E イントルーダー
全天候攻撃機。1個中隊(VA)で、16機(うち4機はKA-6D空中給油機型)。湾岸戦争で活躍したが、1990年代半ばに退役。
A-7E コルセアII
軽攻撃機。一部の空母で残存(例: 1991年まで運用)。主に攻撃任務で、1990年代はF/A-18へ移行。
E-2C ホークアイ
空中早期警戒機。1個中隊(VAW)で、4-6機。
EA-6B プラウラー
電子戦機。1個中隊(VAQ)で、4-6機。
S-3A/B バイキング
対潜水艦哨戒機。1個中隊(VS)で、8-10機。
C-2A グレイハウンド
艦上輸送機。分遣隊(VRC)で、数機。
ES-3A シャドウ
電子偵察機。分遣隊(VQ)で、数機(1990年代初頭に導入)。
SH-60F/H シーホーク
対潜水艦ヘリコプター。1個中隊(HS)で、6-8機。

【空母キティーホーク】歴史とキャリアのハイライト:「50年の現役生活」を徹底解説
アメリカ海軍の象徴として、半世紀近くにわたり世界の海を走り続けた空母キティーホーク(USS Kitty Hawk, CV-63)。
「最後の通常動力型スーパーキャリア」として知られるこの巨大な艦は、冷戦の緊張から対テロ戦争まで、現代史の最も重要な瞬間を目撃し続けました。
特に私たち日本人にとっては、横須賀基地を事実上の母港として約10年間駐留した「馴染み深い空母」でもあります。
本記事では、「50年の現役生活」というキーワードを軸に、キティーホークの激動のキャリア、技術的な特徴、そして日本との絆について、その歴史的ハイライトを詳しく解説します。

誕生と冷戦の幕開け:通常動力型空母の完成形
1961年、フィラデルフィア海軍造船所で就役したキティーホークは、フォレスタル級航空母艦の改良型として設計されました。
当時のアメリカ海軍は原子力空母(エンタープライズ)への移行期にありましたが、建造コストと技術的安定性のバランスから、キティーホークは従来の蒸気タービン方式(通常動力)を採用しました。
艦名の由来と「バトルキャット」
艦名はライト兄弟が初飛行を成功させた地、ノースカロライナ州キティホークに由来します。
乗組員からは親しみを込めて「バトルキャット(Battle Cat)」や、その長期間の現役生活から「ミズ・キティー(Miss Kitty)」とも呼ばれました。
初期スペックの凄み
- 全長: 約323メートル
- 満載排水量: 約8万トン超
- 搭載機数: 70〜80機
当時としては破格の巨大さを誇り、後のニミッツ級原子力空母へと続く「スーパーキャリア」の雛形を完成させたと言えます。

2. ベトナム戦争の激化と「ヤンキー・ステーション」
キティーホークのキャリア初期を語る上で外せないのが、ベトナム戦争です。
1960年代半ばから70年代にかけて、キティーホークは南シナ海の「ヤンキー・ステーション」へ何度も展開しました。
終わりのない出撃
当時の空母航空団は、北ベトナムへの爆撃任務を昼夜を問わず行いました。
A-6イントルーダーやF-4ファントムIIといった名機たちが、キティーホークの甲板から次々と飛び立っていきました。
この過酷な実戦経験が、後のアメリカ海軍の航空運用ドクトリンを形成することになります。
人種暴動と苦難の時代
長期にわたる航海と戦争のストレスは、艦内にも暗い影を落としました。
1972年には艦内で人種間対立に端を発する暴動が発生。
これはアメリカ社会の分断が軍内部にも波及していたことを示す歴史的な事件であり、その後の海軍内の意識改革へと繋がる契機ともなりました。

3. 冷戦の最前線とソ連潜水艦との衝突
ベトナム戦争後も、キティーホークに休息の時はありませんでした。
冷戦構造下において、ソ連海軍との対峙が続きます。
1984年の衝突事故
最も有名なエピソードの一つが、1984年の日本海におけるソ連原子力潜水艦との衝突事故です。 米韓合同演習(チームスピリット)に参加中だったキティーホークに対し、浮上しようとしたソ連のヴィクター級原子力潜水艦が接触。
幸い核爆発などの大惨事には至りませんでしたが、冷戦下の海がいかに「見えない緊張」に包まれていたかを物語る事件として語り継がれています。

4. 日本との絆:横須賀での10年間(1998-2008)
日本のファンにとって、キティーホークが最も輝いていたのは、やはり横須賀配備時代でしょう。 1998年、空母インディペンデンスの後継として、キティーホークは第7艦隊に配備されました。
なぜ「通常動力」が重要だったのか
当時、日本国内では原子力艦船の寄港に対する反対運動が根強くありました。
そのため、原子力空母ではなく、あえて通常動力型であるキティーホークが選ばれたという背景があります。
結果として、彼女は**「アメリカ海軍史上、最後の通常動力型空母」**として、その退役まで極東の平和維持を担うことになりました。
同盟の象徴としての活動
- 一般公開
横須賀基地のフレンドシップデーでは、その巨大な姿を間近で見ようと数万人の列ができました。 - 対テロ戦争
2001年の9.11同時多発テロ直後、キティーホークは「不朽の自由作戦」支援のため、異例の特殊部隊支援プラットフォームとしてインド洋へ緊急展開しました。 - イラク戦争
2003年にはイラクの自由作戦に参加し、ペルシャ湾から空爆を実施。
横須賀の岸壁に佇むその姿、そして時折見せる黒煙(通常動力ならではのボイラーの煙)は、地元の風景の一部となっていました。

5. 退役、そして伝説へ
2008年、キティーホークは後継の原子力空母「ジョージ・ワシントン」にその任務を譲り、アメリカ本土へ帰還しました。
48年間の現役生活に幕
2009年5月12日、ワシントン州ブレマートンで退役式典が行われました。
就役から実に48年。半世紀近くにわたり第一線で運用された空母は、当時は原子力空母エンタープライズ(CVN-65)くらいしか例がありません。
最後の航海(解体への道)
退役後、博物館船としての保存を望む声も多くありましたが、維持費の問題などから断念。2022年、解体のためテキサス州ブラウンズビルへと曳航されました。
かつて世界最強を誇った「バトルキャット」が、自力航行ではなくタグボートに引かれて最後の旅をする姿は、世界中の軍事ファンに「一つの時代の終わり」を強く印象付けました。

まとめ:キティーホークが遺したもの
空母キティーホークの「50年の現役生活」は、単なる兵器の運用記録ではありません。それは、ベトナム戦争、冷戦、湾岸戦争、対テロ戦争といった現代史そのものです。
- 過渡期の完成形
通常動力空母の技術的頂点を示した。 - アジアの安定
横須賀を拠点に、激動のアジア太平洋地域の抑止力であり続けた。
現在、その鋼鉄の巨体は地上から姿を消しつつありますが、キティーホークが残したレガシーは、現在の第7艦隊や、そこに勤務する将兵、そして私たちの記憶の中に確かに生き続けています。
●キティーホーク画像集 seaforces-online

